コラム

フリーランスになるまでの仕事遍歴

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会社勤めをしていたのは20年余り。フリーランスになってから6年目になりました。

早期退職後、フリーランスになるまでの休職期間は、陽ざしのなかですごせる毎日に心底感動!

朝おきてはニコニコ。外にでてはニコニコ。なんて幸せなんだと声にだしてはニコニコしている日々でした。太陽が燦燦とあたる部屋で、のんびり朝の時間をすごせるって素晴らしいことですね!

オフィスライフにはない陽の光をあびられる贅沢。この太陽のある暮らしは、なんとか手放さずにいたいなと思うようになりました。

好きなことさがし、はじまり

のんびりした学生生活を経て、のほほんと入社した私にとって、会社生活は、学ぶことの多い場所でした。社会とのつながりを実感できることだけでも刺激的。

9月入社だったこともあり、最初にできた仕事仲間は同期よりも一つ上の先輩が多い環境で、雰囲気は、学生生活の続きのようなものでした。

何をして生きていきたいか、ほんとうにやりたい仕事はなんだろう、そんなことをやっと考え始めたのは、入社3年目くらいでしょうか。

おそろしく世間知らずだった私でも、何の肩書もないまま会社から放りだされたら、生きていけないんだろうなと “漠然” と、考え始めたようでした。

好きなことは、どこにあるの?

やりたい仕事を見つけたいというテーマで、本や雑誌のアドバイスを見ていくと、好きなこと・やりたいことは「すでに自分の中にある」「すでにやっていることの中にある」となぞなぞのように書かれています。

組織変更の多い会社だったこともあり、進んできた道が急に消滅することもよくありました。

進む方向がわからなくなる度に「すでにやっていることは何だろう」と自分を観察し直す癖もついていきます。

「いつの間にかやっていること?」
「読書?散歩?」

ほとんどしていない「庭いじり」も候補にあげてみたりして、ガーデニングに興味をもった時期もありました。英国でガーデニングを勉強するのも楽しそう…イタリアに学校もあるんだなあ…なんて。

〇〇士です、○○家です、といえる専門職になることができたら、組織変更なんて関係ない。専門の道をコツコツと進んでいくことで、知識も実績も積み上げていけるんだと、ぼんやり専門家に憧れを抱くようにもなりました。

専門家になるのなら、資格があると早そうです。

でもどうしても、資格試験というものに興味がもてない。知りたがりで参考書を手に取ることはよくあるのに「これは他の人に任せたほうが…」と毎回おなじ結論になってしまう。

楽しそうだなあと思って一応買ってみても、最初のほうを読むだけです。試験勉強に熱中することは一切ありませんでした。

転職できない? “やりたくない” ことがわかった話し

結局なが~い在職中にも、憧れの「職業名」を見つけるところまではたどり着けませんでした。退職後も相変わらず、なにがしたいのかな?と考えていたほどです。

会社を辞めるときには、会社が早期退職者むけに再就職斡旋会社を紹介してくれて、登録することになっていました。パ〇ナ、〇クルート、ラ〇トマネージメントの3社から選べるようになっていて、私は最ものんびりしていると言われていた温和な会社を選択しましたが、ちょっと珍しい選択のようでした。

他の紹介会社を選んだ人たちは、矢継ぎ早に面談先を紹介されていく間、「半年は仕事をしないでいようと思っているんです」と話しをして、担当の方にも、ゆっくり考えてみましょうね、とのんびり付き合って頂きました。

その「半年」が終わるころ、一度だけ、転職先を紹介してもらうための面談が用意され、初めましての担当の方に会いにいき、その面談でやっと気がついたのです。

私は「新しいこと」がやりたいのか、と。

かんたんに気がついても良さそうなのに、思い至らないから不思議です。担当の方は、私の経歴をもとに、マーケティング会社や商品企画の仕事など、奥にひっこんではあれこれ候補先を持ってきてくれますが、湧いてくる気持ちは「どれも嫌…」。

「一企業の枠の中で働く」ということに興味がなくなっていたのです。

担当の方の質問に「なぜ嫌なのか」を丁寧に一つ一つ答えていきながら、「企業のコンセプトに合わせていくのは窮屈で…」「いままでやってきた仕事はもうちょっと…」。

無理を言っていると自覚しながら、無意識にでてきた自分の言葉に、「そういえばそう思ってたんだった」と納得していきました。

人と会話をするってとても大事なことですね。。

好きな仕事へ、螺旋階段をのぼっていく

基本的に、仕事は大好きなので、目のまえに現れる「気になる新しい扉」は、つねにたたき続ける習性があったと思います。

最大にして初めての転機となったのは、入社3年目に「社内募集」で秘書に応募。それには落ちたものの、別枠で紹介された秘書職になってしばらくして、素晴らしくユニークな名物ボスに就くことができました。

後に短い期間社長にまでなった素晴らしいボスでしたが、彼の商品への愛情、スタッフへの熱心な指示、秘書の目をぬすんで逃げる!(戻ってきたら「いや~秘書がスケジュールをまちがえまして」と秘書のせいにするところまでワンパッケージ)という予期せぬ行動など、奇想天外さ、ユニークさもふくめ、全てが新鮮で面白かった。

すっかり魅せられ、「私もボスのように商品をつくる “あっち側” の仕事がしたい!」そう思うようになっていったのです。

なんのスペシャリティも持たない私が「商品をつくる “あっち側” の仕事をする」という願いを叶えるまでには、その後、7年もかかってしまいますが、いい出会い、いい転機だったと思います。

その後もずっと、新しい扉には敏感で、退職時の面談では、人事部の方に「変わった経歴ですね」と驚かれたのでした。

一企業内にしては、一見目まぐるしく変わる経歴も、その一歩ずつが螺旋階段を登るように進んできて、少しずつ、やりたい仕事へと導いてくれたのだといま思います。

好きな仕事への道のりは、いつも初心者

私の基礎を作ってくれた秘書の仕事。ライフワークになった企画の仕事。ぜんぜんダメだった海外営業の仕事…。

どの仕事も初心者から入っているので、先輩のみならず後輩にも同期にも、みんなに助けてもらいながらのチャレンジでした。

秘書になりたてほやほやの頃は、会議の合間に “3分” しか席に戻らないボスに、不在中の案件を伝えて答えを引きだすということさえも難しく、もごもごしている間に、ボスは席から消えています。

秘書から事業企画へ、やっとのことで入れてもらったときも、初めての会議中、後輩に突然「すみません、ちょっと呼ばれちゃって。このあと議事録お願いしてもいいですか」と議事録係を頼まれたものの専門用語もまだ分からず、まともに議事録も取れなくて、自分の未熟さを知りました。

仕事のあとのアフターアワーは、インテリアコーディネーター専門学校、Webデザイン専門学校に通ったりして、手に職をつけようとこちらの時間も試行錯誤。

秘書時代に通っていたインテリアの学校では、徹夜で課題をこなしたり、グループで卒業課題に取り組んだり、「お客さまへの提案」について考えつづけ、初めてのプレゼンも経験したりと、結果的には仕事で使える技量も学ぶ良い機会になりました。

小さく小さく前に進み続けた毎日は、今思えば贅沢な一歩一歩となって積みあがり、結果的には、知らないうちに専門職に近づく道を進んでいたのだと思います。

好きな仕事は、キーワードでは探せない

退職して6年目。やっと「ああ、これがやりたいことだったんだ」という仕事への思いを整理できてきたいま、「やりたいこと」を見つけるのが一見とても難しく見える原因も分かってきたように思います。

漠然と憧れていたのは、専門職やエキスパート。
探していたのは、専門学校リストや資格リストにある「職種名」や「職業名」です。

会社の組織図とにらめっこすることもよくあって、この組織にはどんな仕事があるんだろう?と「仕事の名前」を探すのも習慣のようになっていました。あなたがやるべき仕事は〇〇です、そんな「キーワード」に出会いたかったのだと思います。

企画というありそうでない職種名

ここにきて、いま楽しいと思える仕事はざっくりいえば「企画すること」ですが、企画というのはどの職業にもある「要素」であって職種ではない、ともいえると思います。

企画部が存在する会社もあれば、別の名称で企画を担当している会社もある。

幼稚園の先生、保育園の先生、学校の先生たちは、お遊戯会や遠足を「企画」しているエキスパートでありながら、企画が仕事だとは言わないでしょう。

好きな仕事が「企画」のように、職種の名前ではない「要素名」だった場合には、やりたい仕事はなんだろう?と専門学校リストを眺めても、いつまでも出てこないのかもしれません。

ピンとくる職種が見つからないのは、やりたい仕事が職種や職業の名前として一般的ではないというだけなのかもしれないですね。

好きな仕事は職種未満のなかにある

職種の名前としての地位を獲得していなくても、個人の特性や経験が活かされる仕事は世の中にたくさんあるはずです。

ただ、表現する言葉がないばかりに出会うことは難しい。

最近は、たとえば、片づけコンサルタントという仕事は、こんまりさんの登場のおかげで知りましたが、そんな風に、たった一つの得意なことを仕事名として生んでいける世の中になってきているのだと思います。

あるいは、もうとっくにそんな世界は出来ていて、ただ会社という場を中心に生きてきてしまった私のような人だけが、職種名や職業名にしばられているということかもしれません。

そういう意味では、なるほど確かに「やりたいこと」というのは、むかし読んだ本が教えてくれていたように、すでに自分のなかにあったんだと実感します。

ただそれは、仕事名として存在していないだけだった、言葉になっていないから見つけるのが難しく、探す場所がちょっと違っていただけなのでした。

好きな仕事は、企画と企画の実現

現在は、フリーランスで企画の仕事をしていますが、主軸をジャズコンサートの企画コーディネーションに絞ってみようと考えています。

退職後、再就職斡旋会社のおすすめを辞退して、新しいことがしたいんだと気がついた後、いつしか自然に始めていたのが、ジャズライブの企画から運営までの仕事でした。

企画が実現するところまで見届けられるのは、とても楽しいものですね。

ジャズライブを聴きながら企画作り

会社員時代に聴いていたジャズライブは、私が企画を生んでいた現場です。

企画のコンセプトを考えるとき、企画の進む道を考えるとき、私にとってアイデアが生まれやすい場所は、なんといっても生演奏が降りそそぐ場所。

没頭させてくれるいい音楽。本気の生演奏の中にいるときは、感覚が研ぎ澄まされていくようで、たくさんの気づきが生まれていきました。

会社で走りまわった雑多な一日をすごしたあと、夜にはもうほとんど忘れそうだった大切な瞬間を、生演奏を聴くなかで、ふいに思い出すこともよくあった。

落ち着いて考えられなかった次の一手が、音楽のなかにいることで、ストンと降りてくることも多かった。

ライブハウスのカウンターで、私のまえにある紙のコースターは、いつも降ってきた文字でいっぱいでした。私の仕事、私の企画は、ジャズライブの環境の中ですくすく育っていきました。

ジャズライブを企画し、仲間も見つけたい

2021年の現在までに、合計77本のジャズコンサートを企画して、実現にこぎつけました。

今後は新たに、「ジャズコンサートを企画してみたい人」や「企画をしてみたけど上手くいかなかった人」などへ、企画ノウハウのサポートができたらいいなと考えています。

いい音楽を大切な人に聴かせたい、ジャズをみんなに聴かせてみたい、そう願っている人たちが実現にむけて動けるお手伝いが出来ますように。

ジャズライブのイベント企画が、私の住む東京から遠く離れた場所でも開催できて、いずれ私がいなくても定着できるよう、サポートしていく仕事にチャレンジしていけたら幸せです。

2021年5月

ABOUT ME
atsuko
イベント・ジャズコンサートの企画コーディネーター。ソニー(株)退社後、2015 年秋に独立。ジャズコンサートとリスナーとの新しい出会い方を提案する「小さなコミュニティに "一流" のジャズを届ける企画」に奔走中。活動テーマは『今日が大切な日になるように』